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なんとか本日中に正月飾りを出すミッションに成功しました。
便所と風呂の大掃除だけ、まだ。だが今回ばかりはよくやったと自分を褒めたいです。
年賀状もおせちもまだだけどな!!!年賀状は1月中に届いたら御の字。(遅参宣言)

そうそう、先日、政宗の平和像なるものがこの世に存在することを知ったのですよ、ええ、今更。

真田昌幸平和像とかもしもあったらそれはそれで吃驚でしょうが(泣く子、いや泣くヤスも黙る乱世製造機だからね!)、伊達でもかなり吃驚。
だって、伊達だよ?!アレでしょうか、いけしゃあしゃあと「儂も若い頃は色々やったが、やっぱり平和って大事じゃと思う!かけがえないよな!」とか言ったんでしょうか、しれっとした顔で。

とか思いながらその意外性に萌えていたら、むしろそんなこと言っちゃう政宗とそれを呆れ顔で見ているであろう幸村に萌えてたら、なんと、平和を祈るタイプの平和像ではなく、「平服を着ている政宗の像だから平和像」というオチ。

…ああ、それでこそ政宗だ。少し、ほっとした。


マイスィーティー師匠とのメールで、「え?正甲斐?」と素朴な疑問を投げられたので、止まらなくなった。故に続きはキモい甲斐姫語りです。
けどあまりに妄想とかに基づいた内容で、しかもちょっと暗いので、お勧めはしません。けど、どーしても言いたいから、畳んどくー。

「の○うの城」を読んだ時から甲斐姫は気になってました。ぶっちゃけ。

あんまりいいことではないような気も個人的にはするのですが(わしの甲斐姫への印象ではなくて、キャラにこういう悪い風にもとれる語りをすること、という意味でね)(でも、大好きなんだよ!)、日常に懸ける憧憬、もうね、妄執に近い憧憬というのは、言葉では説明が付かぬ性、な気がするのですよ。

誤解を恐れずに言えば、女性性がものすげえ勢いで出る瞬間、と言いますか。

甲斐姫の可愛さは、皆から怪力だの何だのの評価を受けている癖に、そこはかとなく感じるあの女の子ちっくな憧れと、それを支える乱暴なまでの日常への憧れ、だと思うのですよ。
それは致し方ないこと、故に、可愛く見えます。微妙に共感出来る、というか。あー、まあね、分かるよって言いたくなる。
とうこ個人のことになりますが、私が一人のときに絶対に無闇にテレビをつけない理由は、そーゆーことなのかなって思うのです。だってテレビは急にニュースとか流れるから。(急にじゃないよ!テレビにはテレビの言い分もあるよ!私がニュースの時間とかきちんと把握してないからだよ!)
誰某が何処其処で殺された、火事があった、そんな非日常、見たくない。非日常が一転して日常になった人の話なんか見たくない。チキンな言い訳ですが。
何か、自分ではどうしようもなかった嫌なことが起こった、或いは自分には与り知らぬところで何らかの悲劇があった、その時「次回からは、或いは自分はそうならないように気をつけよう」と思うのが男で「そういうことが既にあったのだから、次はないとは、そしてその次が自分ではないという保証はない」と思うのが女だそうです。
それには賛否両論あるでしょうし、私も全身全霊で信じているわけではありません。
けど、それは一つの真実であるとも思う。ある一つの事例に対して、何事かを思う人と思わない人がいて、場合によってそれが逆転したり、するだけだと思う。何に対して敏感に反応するかは人によって違うのだし。

甲斐姫はいつかおねね様のような人になれそうと私は勝手に思っているという話をどっかでしたような気がするのですが(日記だったか?覚えがない)、例えば、秀吉様とおねね様の場合、子飼の子達を戦場に送り出すに当たって、二人共も心配はしてると思うのです。
でも「無理はするな」と同じことを言っても、そこから先は彼ら一人ひとりの技量を信じるしかないと割り切れるのが秀吉様。
もしも一時の勝ちに湧いてそのまま突っ込んだら、逃げようとしても逃げられない状況だったら、馬の足が折れたら、敵の、或いは味方の流れ弾に当たったら、お腹がすいて力が出なかったら(正則限定)。数々の可能性を(それがどんなに馬鹿馬鹿しかったとしても)具体的に考えて心配してしまうのがおねね様だと思うのです。

故に、秀吉様にはまだ余裕がある。戦況を読み、敵の心理を考えられる余地がある。
けど、おねね様には、そんな余裕、きっと、ないのです。
どっちが悪い、というのではありません。私の勝手なイメージですから。全く私は勝手なイメージで話すのが好きです。

きっとおねね様は、どうぞ無事でと願うと思うのです。自分が恐れている様々な想像が本当にならないように、と。
願うときに何かを差し出してしまうのは人の性です。お百度とかもそうですよね。人を呪わば云々というのも、翻ればそういうことです。強い願いの成就には、(実際はそんな関連性などなくとも)贄がいるのです、気持ち的に。
けどそれでもおねね様は思うと思う。敵将にも敵兵にも、家族があり誇りがあり、捨てられないものがあることを重々承知で、尚、その命を奪うことでウチの子達が、御前様が無事であるなら、そうすることも厭わない。いっそ自分の命を投げ出しても厭わない。
みんなの無事を祈っている、なんて言うくせに、全くもって身勝手な母の理屈ですが、それを身勝手と罵ることは出来ない、気がする。

甲斐姫の理屈も、それに似ていると思うのです。日常への祈りと成就の引き換えに、敵を殺す、手を汚す。
「はあ?敵の意地?んなの関係ないわ、あたしはあたしの日常を守りたい、その為には敵を殺しても。それの何がいけないってのよ」ってことですよね。ええ、理屈は、分かります。
実際、自分がそういう状態に置かれたとして、その時に自分がどう動くかは分かりませんが。何かあった時に、せめてウチの子だけは無事で、せめて自分の周りの、顔も名前も知っている人だけでも無事で、心狭いながらもそう祈ってしまうのは仕様がないことだ、って思ってます。
それは顔も知らない人をないがしろにしていい理由には決してなりませんが、でも、本当のことをいうと、私はそういう人です。

「あんたは空っぽ」と伊達を罵る権利は、甲斐姫にはありませんが、でも、彼女には理由があると思うのです。身勝手ですが。
あたしと、あたしの周りを巻き込まないでよ!と彼女は叫んでいると思うのです。

日常の崩壊は恐ろしい。わざわざそれをしようとする男共(まあ、男に限ったことではないですが、戦国の世なのでそーゆー言い方をしてみた…)が信じられない。もー許さない、あたしが追い返してやる!
甲斐姫の理屈はそんなところじゃないかな、と私は勝手に思うのです。

だから、伊達がいろんなひとに非難されてるのは腹が立ったけども(信長→秀吉→家康と続く天下の移り変わりに、伊達が己の野望を掲げて横槍を入れるのはそんなに許されないことなのか?と思ったし、天下を目指し実際に天下をとった彼らはそんな崇高な理想をもともと描いていた人たちで、伊達はそうじゃないの?と思った)甲斐姫にだけは、なんとなーく頷いてしまうのです。
あんたは空っぽ、なんじゃなくて、少なくともあたしはあんたのゆってる意味がぜんっぜん分かんない!くらいの。それでいい。
敵の心理にまで目を向けたり同情するような余裕は、甲斐姫にはないのですから。
その辺、目を瞑るという行為は、彼女が自分の勝手な願いと引き換えに犠牲にしたことなんでしょう。意識的にか無意識か知りませんが。事情も知らない敵にまで、情けはかけられない、ということです。おねね様くらいだったら、分からないながらも「うーん、それはそうだけどね」くらいは返せると思いますが。

ちょう極端に言えば、あたしの日常の為なら他のものはどうだっていい、と彼女は言っている訳ですから、腑に落ちなかったり、同意しかねるところだってあるでしょう。
綺麗事でも何でもなく、自分とは関係ない悲劇に、大概の、というか殆どの人は本気で胸を痛めたり助けたり出来るのですから、彼女が言ってることは極論です。しかも突きつけられるとしんどい類の極論です。分かる、分かるよ、でもなるべくならそーゆーこと自覚したくなかったな、という。
実際、彼女が敵で出ると「何でこの戦で出て来るんだよ!」とか言いたくなることだってない訳じゃない。甲斐姫、強いしねw

でも形振り構わず日常を守る甲斐姫と、形振り構わなかった結果、ある意味あの時代の最大の被害者になってしまった正則は、そういう意味で真逆で、だからこそ、支えになれるんじゃないかと思うのです。(多少、秀吉様にはおねね様がいるし、側室とか改めて言われると少し悲しい気持ちになるので、だったら子飼はどうよ!正則は?!正則と甲斐姫、いいんじゃね?!と思ったところもあるのですが)(多少どこじゃない)

お互いに鈍感になれるというのは、悪いことだけではない筈。もしも甲斐姫の日常に、正則がいたら、彼女は必死で彼を守るでしょう。別に正則じゃなくてもいいんだけどさ(笑)

正則が、3ではなくて史実どおり三成のことが許せなくて、仲が悪いという正則にとっての日常が、関ヶ原から豊臣崩壊の一連の流れ、という非日常を招いたとしても、彼女はその為に武器を取るのでしょう。だって、どんな風に他人や歴史に評されようが、それが彼女の日常だから。
愚かしいけど、その愚かしさが悲しいけど愛おしいと思うのは、私が甲斐姫をどうしても好きだからなのか、むしろ正則が好きで好きでしょうがないから彼だけの味方がほしいなと思っているのか、自分でも分かりません。
間違ってるかもしれないし、天下を目指す家康とか、矜持を貫く幸村とか、泰平を願う官兵衛とかからすれば馬鹿げてるかもしれないし、「日常の為に武器を取る」というキャラクターだから、そこに特化しているところは多分にあると思うけど、でも、やっぱり、それはそれで、と思う。しょーがない、普通の人の願いだよ、と思う。

別に正甲斐をばしばし書こうとは(今のところ)思いませんがwここまでゆっといて。

全てを超越したような阿国さんのような人も、可愛い謙信をいざとなったら滅ぼしてでもという施政者の心意気を説く綾様も、いい女だと思いますが、可愛い我が子の為、大好きな御前様の為、あたしの日常の為に泥の中這いずり回るようにして(そんなものはいずれなくなってしまうことを何処かで自覚しながら)戦う彼女達も、いい女だと私は思うのです。

まあ、あれです。つまりわしは甲斐姫が大好きってことです。話しながら、段々3甲斐姫や3正則のイメージとは離れて行ってることも一応は自覚しています。(特に正則)(正則はプレイ前に随分色々なイメージがあったので、それとどうやって折り合いをつけるか、まだまだ考え中なのですよ)
そうよね!と思っていただけたら勿論嬉しいと思ってるから語るのですが、大丈夫、いやいや、んなわけねえよと言われるのも承知です。ちょびっと、そう思っただけです。

無駄な深読みはキモオタの性だと思って一つ許してくだされば。

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