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下の続きでござるよ。
上田城にいった我々ですが、一度目二度目と分けて報告するの面倒なので、一緒くたに報告しますね。
そんなこんなで上田城へ。
道すがら「真田屋」さんというお店を見つけ「何を売って…べべべ弁丸ください!」と叫び、崖を見ては「この上から粥が…私笑顔の幸村にだったら粥ぶっ掛けられてもいい!」と悶える始末。誰か止めてあげて。

二の丸橋を渡っていよいよ念願の上田城へ。
「ここここここを弁丸が!」と心の臓も破裂するくらいのテンションで歩き、鼻血を噴かなかったのが自分でも不思議なくらいです。(でも涎は垂らした)
例えば江戸に入ってから一旦壊されていることとか、上田が出来たのは幸村が結構大きくなってからとか、そんな事実は然したる問題ではないのだよ!
ここで兄上に手を引かれた弁ちゃんがりっくりっく散歩したり、捕まえた虫を父上に見せて遊んだり、まーくんに抱っこされてきゃっきゃなったり、梵と迷子になって泣いちゃったりしたわけですね!育て!健やかに!(もう意味分かんない)
二の丸橋から本丸の櫓まで、目と鼻の先の距離なのにすごい時間がかかったのはそういうわけです。

真田石を見て、兄ちゃんに思いを馳せ、昌幸・幸村父子が主神らしい真田神社に噴出して、御神籤をひいたら吉でした。
しかも「色々大変だったけどもう大丈夫だよ」と書いてあってうっかり泣きそうに!神様は忍を使って見ていなさる!でも真田がそういってくれたら大丈夫な気になりませんか?
因みに相方は「え?頑張れば何とかなんじゃね?」みたいな投げやりな内容でした。
ここではお守りゲット。
あとこんなのも。
DSC01082.jpg
勿論くぐりましたとも!

真田の井戸も見ましたよ!
この説明がまたすごい。真田の穴(いやそういう意味じゃなくてね、じゅるり)に世間が期待する様は結構すごいと思うのですが、大阪でみた抜け穴より使い勝手が良さそうなんですよ。(大阪のなんて人絶対入れないものね)
「兵糧も兵も思いのままに運べる」みたいなことが書いてあってね…(笑)
何それつまりドラさんのドアがここに?え?兵糧まで?どころか兵の出入りまで自由って、それってなんて進入拠点?みたいな。

さて、櫓には入ることが出来ますので、ぶりぶり侵入します。
真田時代のものを見るのと仙石・松平時代の史料を見るのとでは目の輝きから違います。私は正直です。
何故か昌幸・幸村・大助の人形がありました。うーん九度山?かなあ?
DSC01105.jpg
ちょっと見難い写真なんですが、何故か地面にこんなミステリーサークルが!
可愛い!と思って思わず撮ってしまったんですが、こんなちょろっと書いた六文銭が誰にも踏まれず消されず残っているなんて、みんな真田が大好きなんだなあと嬉しくなりました。
幸村?信繁だろ?とかいう視線を観光客に向けられるわけでもなく、幸村を英雄に祭り上げてついでに商魂逞しく利用して(言い方ちょっと悪いですけど)、でもそこに暮らしている人がまず真田が大好きでという前提が感じられて、そんな郷土愛はいいなあと思いました。白石や仙台いったときにも思ったけど。
観光地の落書きとかいやんな話も聞きますし、実際大坂城行った時はそれが酷すぎてすっごく哀しかったですけど、上田城は10年後に行っても大丈夫かも!と思いましたし、そうあって欲しいと心から思いました。

DSC01094.jpg
んで、観光地と言えば顔ハメ写真。幸村と十勇士。顔がはめられるところだらけです…。
しかし今回の参加メンバーは全部で10人。みんなで十勇士に顔をはめて記念撮影しておきました。私は穴山小助で。

ついでに上田城で見かけた看板。
DSC01091.jpg
いや、「投げ」はしませんて、投げは。もう爆笑。何かの策?
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