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右腕と左腕の色が違います…。まあ、いいや!(口癖)
ちょうすてきな梵天と弁丸ちんを拝見してから、泣きそうなまでに子供が愛おしく(なにこの人、ちょっといたい)もうどうしたらいいのかと悶々しております。本当にいいですよね。癒されます。子供は癒しです。エロスも癒しですけど、子供も癒しです。ちょ、並べるな、そこ!
うっかり道端で子供に話しかけられても、眼光鋭くドスの聞いた声で対応してしまいそうなとうこさんですが(嘘、怖いのでおろおろして逃げます)梵と弁だけは別です。「ね~もしも梵天と弁がその辺をうろうろしていたらいいのにね~」と猫に話しかける毎日。可哀想に!もうどこから突っ込んだらいいものやら!(もらい泣き)
無印に毛が生えたような梵幸も最高なのですが、最近政弁も素敵だと思い始めました。分かってる、今、ずざっとね、ひかれる音がしましたよ?それどころか罵声とか聞こえるよ。愛がある罵られは大好きです。大丈夫、大好物です。
政宗は弁丸を猫可愛がりすればいいと思うのですよ。
まーそうは言っても、親子の愛情が我が家のカルピスよりずっと薄い戦国乱世ですよ。肉親同士の骨肉の争いなんか掃いて捨てるほどあるんですけど、政宗のそれがなんか気になるのは、うっかり殺されかけた後(諸説ありますがそれはさておき)仲直りしちゃったりするところだと思うのです。なんつーか、殺されかけてお仕舞いだったら、へえ!不憫だね(おい)で終わるのですが、仲直りするというのが、健気で見ていられないというか。
戦国で掃いて捨てるほどある話、じゃなくて現代でも掃いて捨てるほどある話になっちゃうというか。いっぱいあるからいいんじゃないよ?!だから切ないんだよ。うん、お前が言うかって感じだよね?分かってる、大丈夫大丈夫>私信
子供にとって幾つになっても結局親は親であることよ、ということを自覚するのは本当に大変なことだと思うのです。良くも悪くも。だから弁丸を通じて、政宗が自分の幼児期を追体験して、投影だとしても幸せになってくれればいいというか。弁丸は弁丸で阿呆だけど変に賢しいので、政宗には思い切り甘えられればいいというか。
完全に自分と同じ地平に立ってくれる人間がいるというのはそりゃもう凄いことで、親とかそういう存在を通して本当は無自覚に悟る感覚なんだろうけど、この2人はそれが出来なかったっぽいんです。それを後から、意識的に知ることの幸せ感がもうね、堪らんのですよ。だから恐々でいいんだけど、埋め合わせでいいんだけど、それでもぎゅーって抱っこしてじゃれついてきゃっきゃしてれば、もうおいら、他に欲しいものなんてない!嘘!子機付の電話が欲しい!2階にいて電話がなると分からなくてねぇ…じゃなくて。
それには政宗と弁丸という組み合わせが最高だと思うのです!
なんてすごく尤もらしいことを言いましたが、買い物の最中にスーパーで、弁丸はデズニぃとかのキャラクターの絵がついたカートじゃなくて、カートを引いてくれる大人と対面式の普通のものに乗りたがるのではないかと思ったら堪らなかったのです!ん?じゃあ父上や兄上でもいいですと?!なんてこと、本当だ!
でもさ、カートを引く政宗もそれはそれでいいもんですよ?弁丸お菓子は1個じゃぞ?みたいなね!(落ち着け)298円のお菓子お徳用パックを抱えて走ってくる弁丸とかが見たいです。そんな大きなものを買ってもらったのに、ファミリーパックのアイスのところで駄々をこねる弁丸が見たいです!大きなスイカを「ふおー」って眺める弁ちゃんが見たいです!大きなものがだいすきなんだね!手を繋いで帰っていく(は?何処に?)二人が見たいです―――!いかん、あまりのことに泣けてきた。もういいや、いっそ泣こう!…いや、泣くだけで書かないから大丈夫ですよ?ああん、ひかないで、お願い。
こんなところから申し訳ないですが、地震に遭われた方々、無事だと知り安心しました。
どうぞ皆様の生活が、そしてお心が一日も早く平らかになられますように、ひっそりお祈り申し上げます。