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台所の隅っこにもそもそと作られているわたしの不条理スペースですが、ついに本棚がいっぱいになりました。
引越ししてからおよそ一ヶ月。増えたものは同人誌と文庫、資料の類。本の増加量を見誤っていた私の負け、完全な負け、完敗です。集めようと思っている全集は何処に置けと言うのか。いやいや、実家にある三島全集も…、ああ家が欲しい(話、飛んだなあ)。何処かに嫁幸村付きの家は落ちていないものでしょうか?
欲しいといえば国語辞典が欲しいです。何だか時々よく調べてみると、ああ、これ全く意味が違う!というか方言だ!というものがいっぱいで困るのです。
わたしは東海地方に生まれ暮らして幾星霜、今までその地方から出たことが無かったので全く気にしたことなかったのですが(それでも自分の口の悪さの2割は方言もあるのだろうなあと責任を転嫁するくらいは思っていた)、それ故に微妙な言い回しの違いに今まで気付かなかったというか。
なんとなく意味が分かるのであればいいのですが、方言的にはいい言葉でも、一般的には悪い言葉ってありますものね。なんかお前、この言葉変!って思ったら教えてください…。うう。恥ずかしい!方言だけでなく単純に思い違いもあるのですけど。
そんなこんなで今使っている辞書は、多分中学か高校の頃から使っているものなのですが、うっかり見返すと面白いやら恥ずかしいやら、思わず投げつけてしまいそうですね。本を投げるのは良くないですよ!
青龍刀に赤線が引いてあるのは、何だか失笑と共にあの頃は若かったと思えばいいのですが、「山椒魚(名詞)」やら「ねちねち(副詞)」に線が引かれているのは一体どういう訳か。少し問い詰めてみたい気も致します。かと思えば百人一首の好きだった歌が囲んであったりと風流な一面もアピールしつつ(黙れ)、「小人閑居して不善を為す」にも印がつけてあったのは、将来こんなサイトを立ち上げるであろうわたしを戒めたものか?そうなのか?と頭を抱える始末。なんて先見の明があるお子様だったのか、わたしは。
問題はその自称・先見の明とやらが、未だ嘗て役に立ったことが無いと言う事実なのですが。どころか、全く先が見通せていないこどもむそうは続きをどうぞ。
いくら何でも一人であのようなところに行かせて大丈夫だっただろうか、弁丸はきちんと買い物できるだろうか、出来なくても良い、無事帰ってきたらそれだけでたくさん誉めてあげよう。
そう考えながらも先程からおろおろと落ち着きない信幸に昌幸が声を掛けた。
「弁丸なら大丈夫じゃぞ。少しは落ち着け、信幸」
「そうは申されますが、父上」
「弁丸なら伊達の小倅と一緒だわい。もうすぐ店に着くじゃろう」
父はずっと自室にいた筈である。何故弁丸の行動を逐一知っているのか。
「忍に後を付けさせておるわい。いくらなんでも最近物騒だしのう」
物騒なのはこの家と父上なのです、と口が裂けても言えない信幸だった。
信幸が本気で真田家の謎に悩んでいた頃、弁丸と梵天丸は既にスーパーの入り口に到着していた。とは言ってもここまでスムーズに来た訳ではない。
道端で猫を見つけた弁丸が後を追おうとして走り出したのを梵天丸が必死で止めたり、空き地に生えている雑草をぶちぶち千切ってはばら撒いて、きゃっきゃっとはしゃぐ弁丸を諭して歩かせたり、二人で交互に蹴っていた小石が側溝に落ちてしまい、どちらの所為かで少し不穏な空気になったり。
子供の足からするとやや遠めなその店に辿り着くまでに、少しだけテンションが下がってしまっていた弁丸であったが、店内に通じる自動ドアの前に立つと急に自分の使命を思い出したのであろう。「はふー」と妙な声を上げ、辺りを見渡した。
「で、弁丸は何を買うのじゃ」
そう、それが分からねば話は進まない。弁丸は眉間に皺を寄せて考えていたが、やがておもむろに口を開いた。
「…ひょー?」
「ひょー?」
鸚鵡返しに聞く梵天丸。そんな商品、聞いたことがない。
「ほんやさんで、…ひょー?みょー?にょー?」
左右に首を傾げながら、ひょーだのみょーだの調子をとって言う様はまるでお遊戯をする幼児のようだ。梵天丸も釣られて首を傾けるがそれでは何も分からぬ。
「兎に角本屋、なのじゃな?間違いないな?」
弁丸の目的がさっぱり分からない梵天丸だが、弁丸に正しく買い物できるとは微塵も思っていない。それでも本屋に連れて行かねばならないだろう。
もし弁丸一人だったら、ここでひょーだのみょーだの言いながら佇んでいたのではないか。ああ、本当に付いて来て良かった。胸を撫で下ろす梵天丸である。
「本屋は三階じゃ。行くぞ」
そういうと梵天丸は、未だ首を振りながらにゃーにゃー言っている弁丸の手を取ってエスカレーターへ向かうのだった。
すでにお使いではなくなりました…。