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前回の喧嘩の時には、報復の為、弁当に梅干しを入れてやりました。
いえ、勿論普通に、ではなく。御飯の上に、まるで六文銭のようにおっきな梅干しを六つ。
溜飲が下がるどころか、種がからから鳴る空の弁当箱を受け取った時、無性に腹が立ったので、次の日は奮発して六文を十二文にしてやりました。
夕方、空の弁当箱を私に渡すのは政宗殿の日課です。
ですがその日の夕飯後、種がからから、どころか、ごろごろ言っている弁当箱を自ら洗う政宗殿の後姿を見たら、何だかとてもすっきりしましたので、許してあげることにしました。何で喧嘩していたのかについては、実は私は、既に忘れていたのですけど。
大概の喧嘩は、そんな風です。諍いではありません。自分で言うのも何ですが、痴話喧嘩の話です。
どんなに酷い言い合いをしても最終的には許し許されることが決まっている、そんな出来レースを痴話喧嘩というのです。
そして喧嘩の報復には相手を脱力させるものを選ばなくてはなりません。
報復が再び喧嘩の火種になるなどもっての他、出来れば政宗殿が膝をついて「幸村…あ奴め…」と呟くくらいが望ましい。そういえばずっと前、背表紙を向けてきちんと並んでいる政宗殿の本棚の本を全て、逆に入れ直してやった時には、政宗殿は見事に膝をつきながらも携帯で記念の写メを撮っておりましたっけ。
そんなこんなで数日前にちょっとしたことで私を怒らせた政宗殿は、最近カレーしか食べていません。
カレーの中のじゃがいもが吹き飛びそうな大きな溜息を吐いて、力なくスプーンを握っておりますが、きちんと、米粒一つ残さずに食べてくれます。
夕食だけではないですよ。朝カレーとか言うじゃないですか。具体的にはどんなものかさっぱりなのですが、それに便乗して朝食にカレーを出してみました。それに弁当箱にだってカレーは入れられるのですよ。カレーの色が容器に移ってしまうのでサランラップは必須ですけど、御飯でカレーをサンドするように盛り付ければ零れる心配もありません。
「幸村、儂が悪かった、すまんかった…というか、お主はカレーばかりで飽きぬのか?」
「私が毎日食べても嬉しくて、でも政宗殿にとってはそうではないものを必死で考えましたから」
嘘です。必死で考えたのは本当ですが、勿論私だって飽きています。
この報復を思い付いた時には自分のカレー好きに絶対に自信がありましたが、さすがに辛いです。けど、おくびにも出しません。悔しいですから。
「昨日と味が変わったか?」
「さすがに量が心許なくなってきたので、作り足しました」
それを聞いて、ちょっと嬉しい、と私が思ってしまうのは仕様がないことじゃないですか。
美味しく(今日の場合は多少の疑問が残りますが、それでも)残さず食べてくれること、味の違いに気付いてくれること。これほど作り手冥利に尽きることはありません。
具も付け足したんですよ、と私は少しだけ得意気に言います。カレーの中にじゃがいもを入れてしまったら必ず煮崩れしてしまいますから、ちゃんと前もって火を通して、でもほくほく感は大事なので。
ちょっと勢い込んで話過ぎたかなと思ってます、今では。でもこの時は気付かなかったんです。
「のう、お主は」
政宗殿が満面の笑みを(普通ににこにこではなく、意地悪い感じの満面の笑みです!)浮かべていたこととか。
「ある意味儂の為に必死でメニューを考えて、今日はわざわざ儂の為に作り足しておった訳じゃな」
「そうですけど?」
喧嘩の報復の為には、たゆまぬ努力とか惜しまぬ労力とかが必要なのです!本を全部逆に並べ直した時だって、酸っぱそうな梅干しを探し当てるだって。
「つまり、一人の時もずっと儂のことばかり考えておるということであろう?」
次の日の夕飯がカレーじゃなくなったのは、別に理由はありません。多分、作り足した量が思いの外少なかったからで、本当に深い理由は――納得してしまったとか、嬉しかったとか、そうゆう深い理由は、ないのです。
描きにくいと思ったら、珍しく幸村視点だったという罠。