[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
半ば冗談で土曜日は関ヶ原だ、とか申しておりましたが、本当に言って参りました、今日。関ヶ原に。
しぬかとおもった…!(笑)
とりあえず車でずずいと国道に沿って関ヶ原方面へ進軍であります。
途中、ああこの道を、信長様に扱き使われていた頃から賤ヶ岳の頃辺りまでの秀吉様が忙しく走り回っておられたのであります、と感無量。西軍は大垣城から北西方面に抜ける進軍コースですが、東軍の、特に正則達は一体何を考えながらこの道を通ったんでしょうかと考えると、もう泣きそうで、思わずハンドル操作も乱れがちです。
赤坂あたりを通り、盛親の陣ってどこどこ?もっと南?と大騒ぎしながら、半兵衛の故郷です、と主張する看板を検分。南宮山だの松尾だの、そんな地名がぐいぐい出てきてわーきゃーですよ!
季節が季節だったので、自転車でも歩きでもしんどいと判断し、今回は陣跡めぐりより、ゆるいと噂の関ヶ原ウォーランドへと足を向けます。が!気が付いたら完全に通り越してるし(だって全然看板なかったのよ!)車は完全にバイパスに乗ったし!
笹尾山トンネルをくぐって、気分は正に振り出しにもどる状態。いや、振り出しどころではなく。
丁度目の前に歴史資料館があったので、入りました。うん。なんか完全にウォーランド蚊帳の外だったですよ?
歴史資料館では、関ヶ原の詳しい説明パネルを2度も見るというはしゃぎっぷり。「奮戦する宇喜多隊に対して…」まあ!うきたん!八郎坊ちゃん!「小西行長も激しい戦闘を」こにたん!こにたん頑張れ!みたいな。音声ガイドの声にいちいち反応し、小声で西軍をめっさ応援してたのはわたしです。はい。あと大谷さんのくだりで再び泣きそうになってみたり。
じっくり見るとなかなか面白いですよ。ええとお土産が凄いです。ぐい飲みにタンブラー、煎餅、Tシャツ、灰皿にジッポ、もちろん本。旗指物も売ってます。気になったのは、その見本的に飾られていた家紋が、概ね石田・直江・真田だったことかな!後の二人、関ヶ原関係ありませんよ?!完全にアレな意思を感じるのはわたしだけでしょうか?だって、展示物にも「戦国無双2の三成はかっちょいいので若いおなごに人気がある」という記事が載ってましたし。まさかこんなところで、無双という文字を見る羽目になろうとは!一瞬立ち尽くすとうこさんですよ。
…私は伊達と真田の家紋入りストラップを買いました。関ヶ原全然関係ねえ!辛うじて関係あるといえば、関ヶ原という名前の日本酒を買いました。でも、私、日本酒呑めねえ!いいの、もう放っといて…。
これでテンションが一気に色々振り切れてしまい、近所の家康の陣見学。家康見たんなら西軍見なきゃ。あっちには笹尾山の三成の陣があるよ!とでべでべ歩いて向かいます。丁度先程間違えて通ったバイパスの笹尾山トンネルのふもとですね。途中、激戦地跡もありました。これが三成の陣の目と鼻の先なんですよ。あー石田隊頑張ったねえ、と感慨に耽りたくもなります。ここで東軍の人たちは左近の「死ね」という掛け声を聞いて毎晩魘される訳ですね。
笹尾山は標高としてはもちろん低いのですが、辛うじて作ってある階段がすごい登りにくくてね。あれなら坂の方が…いえいえ、何でもありませんよ、殿。殿はこの山を、痢病に苦しみながら登ったんだものね、偉いね。間違ってもサンダルなんかで来なくて良かったとほっとします。
山頂は非常に見晴らしがよく、当時の戦場の距離感丸分かり。あの辺りに正則が…とやっぱり泣きそうです。最近正則好きなんですよ。
んで、そのまま南下して、島津・小西・宇喜多の陣跡を回ります。陣の間はそれぞれ数百メートル~1キロくらいずつ離れているのかな?宇喜多が少々離れていましたが、軍勢の大きさからすれば仕方がないような。虫は多いし、蛇は出るしで、ああ自然って雄大だ感満載ですよ。
宇喜多陣跡から、今度は大谷さんのお墓に向かいます。途中までは元気よく歩いていたんですが、ダムの上を渡って(このルートもどうかと思うのです。結構怖いです)気付くと完全にそこは獣道。地図は持ってなくて、時折ある立て看板だけがほんのり道を教えてくれるだけ。
なのに、テンションというものは恐ろしいもので、山道を1キロ程あるいてお墓に到着。五助の墓も一緒にあって、思わず涙ぐんでしまったですよ。
ついでに足を伸ばして大谷さん陣跡に行こうとしたのですけど、これが今度こそ完全に獣道。さっきのはかわゆく見えるほどの獣道っぷり。草を掻き分けての行軍。「クマ出没注意」の看板が容赦なく我々に襲い掛かるのです。
道理で歴史資料館に「愛」と書かれたクマ除けの鈴売ってる筈だよ!あれ、買えばよかった!三成の陣跡には僅かに観光客もいらっしゃいましたが、島津辺りから完全に我々のみで、心細いわ、今クマに襲われたらちょっと恥ずかしいわ、そういえば首の裏がひりひりするわ。もう泣きそうだけど大谷さんが待っていてくれるなら――!
大谷さんの陣跡は、他の皆さんと同じで記念碑的なものがぽつんとあるだけでした。でも満足。草まみれの足は散々に痒くて、咽喉はカラカラで、実は途中からすんげえ胃が痛くなってちょっと脂汗とか掻いちゃったけど(三成の痢病と同じね、そんなことより伊達と真田が関ヶ原に観光に来て、それで…!などと無理に脳内麻薬を出すことで乗り切りましたとも!)ものすげえ満足。大谷さんありがとう!
問題はその大谷さんの陣跡から戻る方法なのですが、そこから神社の屋根が見えたので、無理矢理道なき道を下ります。出た、人里!と思ったらそこは(多分)打ち捨てられた神社。参道が線路で寸断されております。これぞ陸の孤島?!
ちょっと泣きそうでしたが、線路が横切れそうだったので(当然踏み切りはなく、線路はおいしょっと跨ぐ形)それを渡って住宅街に出ました。
それまで山の中を彷徨っていた所為でしょうか。完全に方向感覚が狂ってしまい、まずは方角を自らの影で確かめるというリアル遭難っぷり。人っこ一人いないので、頼れるのは己の勘のみ。後で家に帰ってきて地図を見たら、完全に山間に降り立ったらしく。分からない筈だよ、あれじゃあ。
それでもやっと国道を発見し、再び歴史資料館に舞い戻ってきたのでした。うん、レンタサイクルにしておけば良かった。というか、完全にウォーランド忘れてた…!ぎゃあ!
思わぬ形で主だった西軍の将の陣跡を巡ってしまった訳ですが、なんというか、普通に感動しますなあ。左近がこの道を通って島津の陣まで行ったのかしらとか、三成と大谷さんはこの辺で話でもしたんだろうか、とか。400年。でもたった400年前の話ですものね。
誰も歩いていない細いあぜ道に、時々もこもこ森があって、道は見えるんだけど、山に囲まれているからまるで行き止まりに向かって歩いてるようでちょっとぞくぞくしました。腹が痛かったのもあるんですけど。小西!薬をくれ!と叫びましたけども。勿論「まだだ!」と幸が登場するのはこの辺?この辺?とうろうろしましたけども。
でも今度は東軍巡りと、島津の撤退ルートも歩いてみたいものです。ああ、あとウォーランドも!何故かあるらしい信玄公の人形をみてくるの!
家に帰ったらすごい日焼けでちょっとひりひりします。
それはさておき、伊達と真田のストラップを無理矢理一つにまとめ(言わずもがなですが、伊達のに真田を付けて、嫁入り気分を満喫)先程携帯につけました。絶対に落とさないようにしないと!!